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教えて!青山せんせい 「学校に行けない」に向き合おう!
コロナ禍のストレスも影響してか子どもの「不登校」に悩む家庭が年々増えています。
島根県では1千人あたりの不登校児童生徒数が全国でも比較的高く、他人事でないのが現状。
大人はどのような心構えでいたらいいのか、「しあわせなおかあさん塾」主宰・青山節美さんに聞きました。
★web版では、紙面スペースの都合上割愛した部分も含め、青山先生からの原稿をなるべく原文のテイストを残して掲載します★
「しあわせなおかあさん塾」青山節美さん(松江市)
親学ファシリテーターとして4000人以上のお母さんたちと接する中「親が変われば子どもの未来は変わる」を理念に2018年同塾を開講、講座動員数は現在延べ1万人以上。
登録者数1.63万人を数えるYouTubeチャンネルでも具体的なヒントとエールを送り続けている。
なぜ「不登校」に?子どもの心を理解したい!
お子さんが突然「学校に行きたくない」と口にしたら、まさに「青天の霹靂(へきれき)」。
親はショックで頭が真っ白になってしまい、頭ごなしに「行きなさい!」とか、「なぜ行けないの?」と行かない理由を問い詰めがち。
文科省などのデータを見れば、友達・先生・学習…といった原因が示されますが、子どもたちを見ていて思うのはそれらは「きっかけ」にすぎず、実は彼ら自身にもその理由がわからないんだな、ということ。
親や先生に理由を問い詰められ、それに近いところでうなずいているだけです。
心が「もう行きたくない」といっている。
だから、泣く。黙る。怒られる。もっと泣く。
引きずられて学校に行く、だからもっともっと、抵抗して泣く。
子どもの手をちぎれんばかりに引っ張って車に乗せる。
泣き叫ぶわが子をたくさんの同級生やお友達 下級生が見ている学校の入り口で先生に引き渡す。
だから子どもは、親や先生に理由を聞かれると
それに近いところでうなずくのです。
「理由がわからない」。
本人も、どうしてこんなに学校に行きたくないのかわからないのです。
統計にもあるように、友達のこと、先生のこと、学習のことも、確かに要因になっています。
でも、多くのお子さんは、
席順を変えても
クラスを変えても
先生を変えても(先生が優しくしても)
宿題をしなくてもいといっても
支援者が付いても
支援クラスに移動しても…
復学は難しいし、もちろんすぐに「学校大好き」「毎日行くよ!」ともならない。
なぜなら、そこが理由じゃないからです。
私がぼんやりと感じる、学校に行けなくなった子どもたちの共通点…それは【過干渉】。
ただこのひとことです。
「うちは過干渉してないわ」って思われる方が多いと思いますが、そう思った方の100%…というとダメなので、99.9%は過干渉。
特に祖父母世代は一度振り返ってみて。
良かれと思って指示命令され、干渉されて育った“言いなりロボット”な子ども本人は、指示通りに動けばほめられるから最初のうちは楽。
「自分は考えない。おじいちゃん・おばあちゃん、お父さん・お母さん、先生の言うとおりにしていさえすれば、『いい子』って言われるし、楽だし」ね。
世界が狭い中では、それが通用すると思いますよ。
でもどうでしょう、小学校では子どもの世界がぐっと広がります。
そして、学年が上がって自分の頭の中心の、そのまた中の世界が広がる年齢になるころ、もっと複雑に世界が広がります。
更に、もっと複雑になる思春期。自分の生き方を考え始める 思春期後期。
そのときにどうでしょう?
狭い世界で守られて、指示命令されてきた子どもにとって、その世界は恐ろしく怖いものだと思いますよ。
だから、自信がなくなり、学校が怖いものになるのです。
友達のことも、先生のことも、学習のことも、全部理由になるのです。
不登校につながる子どものストレスに、地域性はある?
日本人は「横並び」や「フツウ」が好きですよね。
うちの塾生さんには、イギリスやアメリカ在住の方がいらっしゃるんですが、各国はいろんな民族がいるので、その存在そのものが個性なんですよね。
日本人もその中に入ると、それだけで「個性」になれるはずなんです。
ただ、日本という国では、田舎に行けば行くほど、日本人の数が多いので個性を尊重するというよりも「フツウ」でいることが良し、当たり前だと錯覚してしまう。
世界レベルで考えたら、多様な国や民族がいる中で「みんな同じ」「横並び」なんておかしい。
まるで、型にはめて盆栽型の教育をしているように思えます。
盆栽って、きれいな樹形を整えるために
自分の理想としない 木の「芽」を切り落とすじゃないですか?
ワイヤーを使って 理想とする形に「矯正」するじゃないですか?
でき上がった樹形をみて「理想通り」とうれしくなり、評価するんですよね。
これ、木だからいいけれど(私としては木でもよくない)、人間でこれをやってることに気が付いてほしいなって思います。
確かに、今の日本や山陰では田舎に行くほど、枠から大きく外れるのは難しいのかもしれません。
狭い枠の中に入れようとして はみ出たところを削って…そんな子育てや教育は、正直誰も苦しいのではないかと思います。
その枠は、あってもいいけれど、少しいびつにでも広げてみる。
その感覚を誰もが持つことが大切なのではないでしょうか。
具体的に、親世代はどんな心構えで子どもを支えたらいい?
~小学生ごろ
大人になるための準備・練習時間。できなくても、うまくいかなくてもいいんです。「なぜできないの?」と“練習中”の子どもに聞くのはナンセンス。「子どもだから」できなくていいんです。
むしろ「なんで大人なのにできないの?」って言われてほしいような場面を、よく見かけます。
中学生
「そろそろ先のこと、将来のことも考えろ」と子どもたちに向かって言いがちですが、まだまだ先が見えないのがこの年頃。
児童期に指示命令ばかりで、先を見て行動できるように育てていないなら「考えて行動しろ!」という問いかけは間違いです。
高校生
自分の未来を自分なりに考え始めます。親の期待や不安を、子どもに押し付けることはやめて。
16~17歳頃に自分の生き方を考え、自信がなくなって学校に行きにくくなることもあると思います。
ここで大人の意見を押し付ければ、その先の20代、30代に苦しさや生きづらさを抱えるかもしれません。
子ども自身の“育つ力”を信じて!
祖父母世代に伝えたいこと
孫や親世代が未熟でダメな存在に見えるかもしれません。
皆さんの世代ももしかしたら、上の世代からはダメで未熟に見えて、心配され干渉されてきたかもしれません。
でも、どうでしょう?今、それなりにしっかりと、幸せに生きているのではないでしょうか?
大丈夫ですよ。子どもたちはちゃんと育ちます。
親世代や孫に幸せな人生を歩んでほしいなら、まず親世代の子育てに口出しせず、「自分の若い頃は」と過去の価値観を押し付けないこと。
かつての自分たちをお孫さんや若い世代に重ねて心配するよりも、「指示命令されて自分たちは幸せだったのか」を考えてみてください。
親世代が自立し、「何か言われないように先回りしてわが子(=孫)に干渉する」ことが減れば、孫は自分の頭で考え、未熟ながらも判断して行動するようになります。
孫へも過指示・過干渉をやめ、その子らしさを認める優しい声かけを。
できていないことを探すのではなく、できていることを見つけ、「それがあなたのいいところだよ」と伝えて。
その効果は実の親がかける言葉よりも大きいです。
お孫さんに幸せになってほしいのであれば、叱咤(しった)激励は親に任せて「優しさ」を伝えてください。
それが 家庭だけではなく社会全体でできることだと思います。
学校に行きにくい子どもたちへ
そうだな これが一番難しいな。
わたしは、学校に行かなくてもいいとは実は思っていないんですよ。
行けたら行ったほうがいいよと思います。
でも、行けなかったらそれは仕方がないんじゃない??って思います。
行きたくなったら行けばいい
でも、何もしなくて行きたくなることはないから
できたら、難しいけれど 将来どんなことしようかなとか
どんな人になろうかな?ということを考えて欲しいなって思う。
あの時お友達にこう言われたとか 学校に行けないことがだめだなって思うことはしなくてもいいと思うよ。
それやってっても たぶん いいことはないから。
学校に行けないことは悪くない。
悪いことがあるとすれば…
「行っていない自分はダメだ」って考えることが悪い!
今は学校に行かないだけ。
で、いつかは行くかもしれない。
それがずっと先かもしれないし、すぐかもしれない。
でも、確実に時間は過ぎるから、どんな人になりたいのか、どう生きていたいな、を自分で決めたらいいと思う。
早く心が元気になったらいいね。