SPECIAL TOPICS

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ありがとう、一畑百貨店 ICHIBATAとわたし 思い出エピソード

地域に愛された“私たちのデパート”一畑百貨店が2024年1月14日、65年の歴史の幕を閉じます。

りびえーる読者に思い出を募集したところ、たくさんの投稿をいただきました。

キラキラした宝石のようなお菓子、デパ地下、チキンライスの旗…甘酸っぱい思いと重なるジュークボックスも。

たくさんの読者の百貨店ストーリーの中のいくつかをご紹介します。

★WEB版では12月10日紙面に未掲載のものを一部追加して公開いたします★

一畑百貨店の歴史

1958年(昭和33年)10月、島根県松江市殿町に本格的な百貨店として開業。

1964年(昭和39年)には支店としてJR出雲市駅前に出雲店もオープン。

1982年(昭和57年)9月、松江店に新館が完成し、全館増床改装。

新館に設けられた外が見えるガラス張りのエレベーターは当時の話題をさらった。

1998年(平成10年)にJR松江駅前に移転し、松江駅周辺のシンボルとして現在まで親しまれている。

取り扱う商品は高品質かつ幅広く、山陰唯一のブランドもそろえた。

北海道や京都といった地方のグルメ・名産品を紹介する物産展や、芸術・エンタメ等多岐にわたるイベント・展示企画など、季節ごとの催しものには心が躍った。

和洋さまざまなメニューで楽しませてくれたレストラン・喫茶、デパ地下も忘れてはならない。


 ショッピングを通して、広く県民の暮らしに彩りを添えてきた同店は、2019年の出雲店閉店に続き、2024年1月14日をもって松江店も営業を終了することが発表された。

デパートの建物

 ★私は現在76歳、生まれは安来市広瀬町布部です。
小学生のころ両親に連れられて松江の一畑に行くと告げられたときのうれしさは今でも忘れません。
山の中から出た少年にとって、エレベーター、エスカレーター、店員さんの着飾った姿、見るものすべてが驚きでした。
閉店を聞いたときは本当にびっくりしましたが、時代の流れには勝てないなと感じます。
でも一畑電車やバス、ホテルや建築など、まだ“一畑”の文字は残ります。勝ち抜くのは大変ですけれど、社員一同がんばってください。(松江市、M)


 ★一畑といえば「回るお菓子」。
カラフルで種類もいろいろなたくさんのお菓子が、目の前をメリーゴーラウンドのように回っている様子を思い出します。
毎回買ってもらえたわけではないけど、見ているだけで楽しくて、キラキラした宝石をながめる気分でした。
バス停にも思い出があります。近くでたくさんのバスが見られたこと、次々と入ってくる車両にワクワクしたり、連れてきてくれた母と乗る楽しみな気持ち。
幼いころの記憶なのにちゃんとうれしい気持ちが残っていて、本当に特別な場所だったんだろうなぁと思います。(出雲市、W)


 ★友人と食べたおいしいランチ、駐車場から眺めた景色、包装紙や紙袋もおしゃれで商品も豊富、贈り物をするときは必ず一畑へ選びに行っていました。
駅前の現一畑はラッキースポットの童子(店内3カ所にある彫刻家・薮内佐斗司さん作の像)が入り口ごとに違うので、今日はここからお邪魔しますと入店し、ときどき願いごともしていました。
足が悪く遠出しにくい私には、うまいもの市で全国の珍しい物を一度に見て買えるのもありがたかったです。
京都展では舞妓(まいこ)さんも見られて、毎回楽しみにしていました。(出雲市、M)

 

レストラン、屋上、デパ地下

 ★殿町の旧一畑のレストランで母と一緒に食べていた思い出のメニューが三色パフェ
母は県庁職員で、私は仕事でときどき県庁に出入りしていたのですが、昼食を一畑で一緒に食べるとデザートに必ずこれを食べていました。
うろ覚えですが、茶色とピンクと黄緑の3色だったと思います。40年前の話です。(松江市、O)


 ★小さいころ日曜日は父が仕事で、母が玉湯から弟とバスで殿町の一畑へ連れて行ってくれました。
食堂でお子様ランチを食べ、チキンライスの旗を持って帰るのがとても楽しみでした。
50年以上も月日がたち、OL時代は自分へのご褒美に洋服を買ったり、高齢になった両親に地下でおまんじゅうやお菓子を買い、実家で一緒にお茶するのが楽しみになりました。
なくなるのは寂しいですね。(米子市、T)


 ★私が小学校4年生のころ、殿町の一畑屋上には小鳥屋さんや金魚すくい、乗り物遊具がありました。
学校から帰ると毎日のように母から10円をもらい、金魚すくいをするのが一番の楽しみ
毎日通っても一匹も取れない日が延々と続きましたが、次第に1匹、2匹とすくえるようになり、とうとう店のお姉さんから「あなたは10匹すくったら1匹ね!」と言わせるほどの名人に。
今年、松江市内の大型スーパーで金魚すくいがあるとのチラシがあり、6歳の孫娘と孫の母親と3人で出掛けました。
孫娘は一瞬で紙が破れ、2回目も3回目も金魚はすくえませんでした。
「じいじがやってみるね」と67年ぶりに金魚すくい。ポイ!ポイ!とあっという間に10匹すくって見せました。
孫も孫の母親も店員さんも「すごーい! なになにプロじゃん!」とびっくり。昔培った技が今も残っていました。
地下から屋上まで全部知り尽くしていたデパート、あのころ金魚すくいをさせてくれた母…デパートがなくなるという時代がやってきても、楽しかった子ども時代の思い出だけは永遠に心から消えません。(松江市、K)

 

 ★私が幼かったころ、一畑百貨店は殿町にありました。
当時、屋上に熱帯魚を扱っているお店があり、そこにおしゃべりをする鳥(おそらく九官鳥?)がいました。
その前を通ると何かお話をしてくれる鳥に会いに行くのが楽しみでした。
そのほかにも、屋上には100円で電車や車に乗れる遊具があり、子どもにとって楽園のような場所でした。
今そのようなところはありませんが、まだゲームなどがなかった昭和の良い思い出です。(松江市、I)

 ★駅前に移転後も物産展に出かけたり、子どもの制服やお歳暮を購入したりと少し特別な存在の「一畑さん」。
中でも一番身近だったのは地下1階の食品売り場。
新鮮なお野菜、お魚、お肉、総菜も充実していて、チキンカツ、牛肉コロッケは絶品! 夕ご飯のおかずとして、よく助けてもらっているので閉店までしっかり通いたいです。
地下で売られていた、薄皮であんこたっぷりの大判焼きもすごくおいしく、まだあれを超える大判焼きに出合えていません。(松江市、A)

 

 ★20年前の夏、職場の飲み会で銀座ライオンに行き、明るいうちから窓側でビールを飲みました。
おいしかったなぁ、楽しかったなぁ。(松江市、W)

 

 ★百貨店は母と姉と私の思い出の場所。
コロナ前は月に1、2回3人で集まり、3階のカフェでスパゲティとワッフルとコーヒーを頼み、笑い、時には涙を流す話しをしました。
贅沢(ぜいたく)ができない生活をしていた中でも、百貨店は非日常的で気持ちを豊かにしてくれて、これからも頑張れるという希望を与えてくれました。(松江市、Ⅰ)


 ★2019年2月に息子を出産。
慣れない育児に寝不足で、心身ともに疲れきっていました。
1カ月後、両親のすすめでとんかつ定食を食べに、初めて駅前の一畑にあるイチバタダイニングに行きました。
久しぶりの1人だけの外出と外食にワクワク。
待っていると、ボリューミーで分厚いとんかつが目の前に運ばれてきて驚きました。
妊娠中は揚げ物を受け付けず、しばらく食べていなかったので大丈夫かなと思いながら一口。
サクッカリッと揚がったカツは、重たくなく、とてつもなくおいしくて、あっという間にペロリと完食しました。
私はすっかり笑顔に戻り、元気と育児への活力をもらいました。
その後もちょくちょくパワーをもらいに、夫や息子と一緒に出かけるように。
6階にあるため、宍道湖、電車、バスを眺めながら食べる食事はさらにおいしくなります。
バス好きの息子にとっても最高の楽しみでした。
昨年のダイニング閉店前最後に食事をしたとき、食後に店員さんが「何度も足を運んでくださいましてありがとうございました」と丁寧なごあいさつをしてくださって、心を打たれました。
こんなに通い詰めたアットホームな雰囲気のお店はなかったので、本当に寂しかったです。温かくおいしい料理と笑顔をありがとうございました。(松江市、Y)

ショッピング

 ★一畑百貨店が殿町にあった小学生のとき、母の誕生日プレゼントにレースのハンカチを購入しました。
きれいにラッピングしてもらい、渡す前からうれしい気持ちに。
母はとても喜んでくれましたが、一回も使っている様子がなかったので、気に入らなかったのかなと幼心に思っていました。
しばらくして聞いてみると「あんまりきれいにラッピングしてあって、使うのがもったいない」。
小さい私に対しても心のこもったラッピングをしてくれた店員さんに、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。(松江市、N)


 ★今をさかのぼること38年前、娘がまだおなかの中にいたころ殿町にあった一畑。
仕事の休憩時間に、男女どちらが生まれてもいいように黄色のベストなどを買ったときから時はたち、おかげさまで子どもたちも自立。
時間に余裕ができ、趣味の美術品鑑賞ができる日々がやってきました。
美術サロンは週替わりで展示があり、そのたび写真付きのダイレクトメールを送付してくれるのがとてもうれしく、病弱な私に元気を与えてくれました。
陶芸家さんには作陶過程の苦労話や作品にかける情熱を聞き、サロンにいるとあっという間に時が過ぎていきました。
私の心の中の一畑は、いつまでも色あせることなく永遠に生き続けます。(出雲市、E)

 

 ★毎年お歳暮、お中元は必ず夫と二人で一畑百貨店へ。
送り先の方の顔を思い出し、相談しながらあれやこれやと品定め…毎年の事ながらやっと決めて配送などお願いし、一番の楽しみがランチタイム。
ホッとひと息の時間でした。(雲南市、K)


 ★学生だった殿町時代は銘菓売り場で短期アルバイト。
社員食堂も初めての経験で、豪華な雰囲気が好きでした。
友の会の満期時のおまけの金券も楽しみで、節目のお買い物に利用できてありがたかったです。
出先では「大人かわいい服を着てるね」「どこで買うの?」と聞かれ、ついテンションが上がってしまって「一畑だよ」って。​​
おかげで出かけるのが楽しみでした。(松江市、Y)


 ★夫が退職したときに、何かプレゼントをしてくれるというので、真珠のネックレスとイヤリングのセットを買いに一畑に行きました。
エンゲージリング以来の高価な買い物でしたが、のちのち娘にも譲れそうだし、今は冠婚葬祭に大事に使っています。(出雲市、T)


 ★大学を卒業して就職が決まったとき、今は亡き祖父母と一緒に一畑百貨店に行き、スーツや靴を買ってもらいました。
「良い服をちゃんと身につけておかないと恥ずかしいから」といって一緒に選んでくれました。
地下で売っていた大判焼きもとてもおいしくて、よく祖母が買っておやつに出してくれました。(松江市、M)


 ★短大を卒業し今の会社で働きだして、初めての賞与をいただいたときに、自分へのご褒美にCOACHの財布を買いに行きました。
その財布は今でも大事にしています。(雲南市、W)


 ★25年前、初任給で祖母にカットソーアンサンブルを買いました。一緒に買いに行き、気に入ってくれたものを選びました(高かった!)。
祖母がとても喜んで売り場で涙を流し、店員さんがもらい泣きする…という展開にオロオロしたこともいい思い出です。
その服は亡くなる少し前まで大切に着てくれました。一畑がなくなると聞き、一番最初にこのことを思い出しました。(出雲市、H)

 

物産展、催事イベント

 ★京都が好きだった亡き母と二人で一畑百貨店の京都展へ行くのが楽しみでした。
以前に会場で舞妓さんと一緒に撮った写真を見ては思い出がよみがえり、涙します。
母との楽しい思い出をありがとうございました。(米子市、Y)


 ★一畑がまだ殿町にあるときのこと、姪と姉と3人で買い物に行きました。
二人がサンリオコーナーが大好きで、その日はキティちゃんに会えるイベントをしていました。
開催時間ではなかったのですが、店員さんが気をつかってくださり、通路の奥からキティちゃんが会いに来てくれました。
まだ3、4歳だった姪は小さなかわいいキティちゃんに会えると思っていたようですが、背の高い顔の大きなキティちゃんが出てきて大泣き(私もびっくりするくらい大きな顔でした)。
いまでは笑い話ですが、当時の姪はこの世が終わるかのように泣いてました。(松江市、W)

 

 ★昔働かせてもらっていたので記憶がよみがえります。
キレイにラッピングする技術も身に付き、退職後もよく行っていました。
殿町の旧一畑のころ、娘が描いた母(私)の絵が貼り出されるというので見に行きました。
まだ小さかった娘が私の名前を書きたかったようですが、「けいこ」ではなく顔の下に「たこ」と書いてあり大笑い。
今でも思い出して笑います。(松江市、Y)


 ★結婚、出産が早かった私は実家の両親にはお世話になりっぱなしでした。
そんな中でなかなか両親に対してお礼の言葉が言えなかったのですが、一畑百貨店で募集していた、母の日や敬老の日川柳に応募して、採用作品を店内に掲示していただけました。
両親を連れて行き、サプライズできたことがとてもうれしかったです。(安来市、O)

 

働いてました

 ★一畑百貨店でアルバイトしたことがあります。
化粧品売り場の店員さんはみんなスタイルのいい美人なのはもちろんのこと、立ち居振る舞いもモデルのようでした。
私は「えらいところに来てしまった…」と思いました。
今考えると彼女らはプロ意識が高く、洗練されていたのでしょう。
さらにホスピタリティー(心をこめたおもてなし)に満ちあふれていました。
私自身、こうした姿を見てとてもいい勉強になりました。(安来市、N)


 ★私は物産展が大好きで、子どものころは物産展があるたびに、両親に一畑百貨店に連れて行ってもらっていました。
学生のころは長期休みの時に試食販売のアルバイト
他のスタッフはもちろんのこと県外からの出店者といろいろな世間話をして仲良くなり、残った商品をご褒美でもらったことも。
現在は社会人となり、その経験から私は接客業をしています。(出雲市、I)


 ★数十年前に初めてイベント「京都展」の販売のお手伝いをしました。
とてもたくさん販売できて、一緒にいたベテランの方にほめられました。
私は当時事務職で、事務所内にこもってあまり外部の人と接触がなかったので、別世界の感覚でとても楽しく感じました。
それからときどき声がかかり、イベントはもちろん店内の専門店にも配属され、販売を通してお客様とのコミュニケーションの大切さや喜び等を肌で感じることができました。
ときどき当時のお店の前を通ると懐かしく思い出されます。(松江市、N)


 ★高校生のとき、学校や親の反対を押しきってアルバイトをしました。
生まれて初めてのそのお給料を持って、一畑でダッフルコートを買いました。
一生懸命選んで買ったことを覚えています。
その後も結婚や出産の節目で何度となく訪れたお店です。(松江市、N)

 

人生とともに

 ★そのころ7歳だった私は、1歳下の弟を急病で亡くし、母はショックで入院、父は転勤が決まり県外に単身赴任ということもあり、祖母の家に預けられていました。
月に1度の約束で、祖母に殿町の一畑百貨店最上階のレストランに連れて行ってもらうのを心待ちにしていました。
ある日、寂しさから「もう一度行きたい」と言い出したのを、祖母は「1回という約束だが」と少し困った顔をしながらも連れて行ってくれました。
その後1年余りで母は回復、父の赴任先で一緒に暮らせるようになりました。
心細かった子ども時代を支えてくれた、祖母と一畑百貨店の思い出です。(松江市、O)
 

 ★小学生のころまでは、松江に連れて行ってもらえるのは年に一回、船に乗って天神さんに行く時だけでした。
それが高学年のころ突発性難聴になり、2カ月間毎週母に連れられ、日赤に通院する事になりました。
治療はつらかったけど、ご褒美は近くにあった一畑百貨店のレストランで、毎回ランチすること。
母と2人だけの外出は今までなかったので、嬉しい時間でもありました。
2ヶ月経って完治した日には、ランチのあと下の階に降りて洋服も買ってもらいました。今も鮮明に思い出されます。
今は物産展や北海道展では、夫と競って爆買いして帰ります。それも思い出になってしまうんですね。
本当に寂しくなります。長年ありがとう一畑百貨店!(松江市、O)


 ★今から40年ほど前、私は出雲市に住む男性と遠距離恋愛をしていました。
彼の大学時代に東京で知り合ったものの、2年ほど経ち卒業すると家の事情で郷里に帰ってしまったのです。
私は仕事の都合をつけて、数カ月に1度会いに来ていました。飛行機で来ることもあれば夜行の寝台特急出雲号を使うこともありました。
当時の出雲号は、夜9時ごろに東京を出発し、翌朝昼前くらいに出雲市駅に到着していました。
日中彼は仕事中なので、退社時間まで一人で町を散策しました。

雨降りのある日、どこにも行くあてがなく、ホテルのチェックインまで駅に直結している百貨店で時間をつぶすことにしました。
旅行かばんをさげたままエスカレーターを上り、何階だったか…降りた正面にジュークボックスが設置されていました。
レコードからカセットテープ、CDで再生されるようになり、ジュークボックスが街から姿を消していた時代です。
旅先の開放感と懐かしさも手伝って、私は100円硬貨を投入し松山千春の『人生(旅)の空から』を選曲しました。
恋人との逢瀬(おうせ)を待つ甘く切ない気持ちと、確証のない未来への不安、さまざまな思いが交錯する中、見知らぬ町で途方に暮れている私を慰めてくれているように聴こえました。

それからは、出雲に来るたびに一畑に寄って『人生(旅)の空から』をリクエストし、ぶらぶら店内をまわって買い物をするのが常になりました。
それから数年後に彼と結婚して、40年…今では出雲が故郷と思うようになりました。
出雲店がホテルになってからも、お気に入りのブティックをたびたび利用していました。
時代が変わりゆくのはどうしようもありません。
けれども私は今でも『人生(旅)の空から』を耳にすると、一人ぼっちの旅人を受け入れてくれた、あの百貨店の優しい空間を思い出すのです。(出雲市、M)

 

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