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WEBでも教えて!青山せんせい 「配慮しすぎる」子育てをどう思う? 編
りびえーる本紙で掲載するたびに大きな反響がある、子育て応援企画「教えて!青山せんせい」のWEB版。
就学前から10代後半までの子どもたちを持つ親&祖父母へ向けて、毎回さまざまなテーマをお届け。どの世代へ向けたお話も、どこかで必ずあなたのお子さん・お孫さんにつながるのが不思議です。
子どもも親も祖父母も幸せになる…子育てを楽しんじゃうヒントを、この連載で見つけてください!
「配慮しすぎる」子育てをどう思う? 編
子どもたちへの配慮の一環として、リレーで順位がわからないようにする、「やった!」って喜ばない…
一見優しさのように見えるこの指導に、なんだかもやっとするものを感じている人は少なくありません。
今回は、思いやり過剰な「配慮しすぎる」子育てが招くものについてのお話です。
それでは今回も…教えて!青山せんせい!
傷つかないように…思いやり過剰な子育てとは
最近 幼児向けのスポーツ教室の方とお話をしました。
その話によると、「子どもたちが傷ついたり、やる気がなくなるので、できることしかさせない」…というお話でした。
私は、それに違和感を感じました。
以前も、ある高校の発表会に参加させていただいたときにこの感覚を覚えました。
「失敗をさせるとやる気がなくなるので、教師が手を出し、完璧なものを作る」という話です。
つながりましたね。
大したことをしていなくても、その評価は「完璧」ではなくてはならない。
幼児期の段階でそういうことをやっていたら、高校生になったときには失敗は怖いし、できない自分なんか認められない子になっていることがあるんです。
また、最近の風潮で他には「差をつけてはならない」というのもあります。
運動会のリレーなどで、順位がわからないようにするあれです。
それは、競争する中で“上位”でなかったときにショックを受けないようにすることに加え、結果を責められたり、揶揄される可能性があるからだと思います。
“ 差をつけることは、子どもの自尊感情を傷つける。
繊細な子どもは傷つく。”
まだまだ事例をあげたいのですが…なんかおかしくないですかね?
繊細な子が悪いとか、揶揄(やゆ)する人が悪いとか、そういう話ではないし、それはどうでもいいんですが、傷ついたり、ショックを受けることって、そんなにいけないことなんでしょうか。
「できない」って思うことや「できない事実を知ること」は、ダメなんでしょうかね。
「できなくてもいいんだよ」という声かけで、頑張る気持ちを最初から遠ざけ、回避するような言い方を、社会がしていいのかなとも思うのです。
できない事実を知って、できないで終わる。
本当にいいのかな。
本当に、本人はできなくてもいいと思っているのかな…
私は、人が頑張る原動力ってきっと、
できないことができるようになりたい
なんじゃないのかなって思うのです。
傷つくから
繊細だから
みんな“そっち側”に合わせろっていうのは、私は何かおかしい気がします。
達成感と悔しさ…どっちも大事な感情
そういえば昔、小学校1年生のお母さんからこんなご相談をいただきました。
お子さんが小学校の体育の授業で「しっぽ取り」というゲームをしたんだそうです。
ゲームは、体操服のズボンの後ろに鉢巻をしっぽのようにたらして、それをみんなで取り合うものです。
他の人のしっぽを取ることだけに必死になっていたら、自分のしっぱが取られるので、意識を広く持ちながら俊敏に動かなくてはならないので、これはすごくいい遊びなんですよね。
その「しっぽ取り」の時に、お子さんがしっぽを取って「やった!」と喜んだら、先生がこう言ったんだそうです。
「しっぽを取っても喜ばない!」
ビックリです。
声に出して、「やった!」って喜んではダメなんですって。
理由は「取られた人がかわいそうだから」。
でも私は「そんなところまで制限したら、一生懸命に参加して、頑張って取ることに成功した側もかわいそうだと気が付かないのかな」って思いました。
こんなことをやってたら、できた達成感を味わうことができないと思いませんか?
この一回は取られて悔しかった子が、次はやっと自分で人のしっぽを取ったときに「やった!!!!」って感じる機会も奪っていると、なぜ想像できないのだろうかと思いました。
きっと取られて悔しかった子も、いつか取れたときに絶対に心の底から「やった!!」って思うはずなんです。
これは絶対です。
できたから素直にうれしくて、達成感を味わう。
自分でやりたいことができたから真の達成感を味わうのに、そこに罪悪感まであるような…何ともおかしい感じです。
仮にできなかったとしても、「取られて悔し涙を流したら次はがんばれる」子どもを育てなければ、
これから先に人生 できることしかやらないし、できる範囲の中で満足する。
そしてその「できる範囲」は、絶対に拡大はしない。
縮小傾向になるはずなんです。
学校の中だけではなく、家庭や地域もそうではないでしょうか?
「あなたには無理よ」「そんなこと無理に決まっている」と、ともすればやったことない人にも言われることは多いです。
「自分がやったことがある」もしくは「親がやったことがある」
そんな世界が全てだと思って生きていけば、そりゃあ「(完璧に)できる」「(そうでないなら)やらない」という発想になるのは目に見えていますよね。
挑戦したり失敗する機会を奪われ、腫れ物に触るように育てられた子どもなら、それもそうだろうなと思うのです。
「完璧にできることしかやらない」「できなくても挑戦し失敗からも学ぶ」
2極化する社会の、どっち側に自分はいると思いますか?
その自分が、子どもに影響を与えていると気が付きませんか?
できないことは、かわいそうなことではないです。
できなかったら頑張ればいいし、できるようになればいい。
「できないこと=悪い」と思っているから、できない子への配慮をするあまり、うまくいった子どもの気持ちをないがしろにしているのかもしれませんね。
思いやりの方向…「多面的に考える」を間違えない
以前新聞の広告で考えさせられるものがありました。
「僕のお母さんは桃太郎に殺されました」…のような出だしだったかな。
桃太郎が悪い鬼を退治にいきました。
でも、その鬼には子どもがいました、という内容です。
これを思い出しました。
物事を多面的に見る、立場を入れ替えてみることに気づかせてくれる内容で、それ自体はとても大切なことです。
が、よりよい配慮って、正義って、何でしょうね。
寄り添いすぎて、本来の力をなくす
配慮しすぎて、本来の強さをなくす
一方で、そんなことも思います。
場合によっては、「配慮するあまりに全体の力が弱くなる」…なんだかそんな風にも、見えたりします。
寄り添いすぎる子育て
やりすぎる子育て
あなたも一度、考えてみてくださいね。
「しあわせなおかあさん塾」青山節美さん(松江市)
親学ファシリテーターとして4,000人以上のお母さんたちと接する中で、「親が変われば子どもの未来は変わる」を理念に2018年同塾を開講、講座動員数は現在延べ1万人以上。
登録者数2.98万人(2024年2月末現在)を数えるYouTubeチャンネル「未来へつながるしあわせな子育て塾」でも迷える親たちへ具体的なヒントとエールを送り続けている。