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尼子十旗(あまごじっき)探訪帳

全国的に山城が注目を集めています。

戦国時代、島根(出雲)でも尼子氏が月山富田城を中心に勢力を拡大し、松江、出雲、雲南、奥出雲、飯南には支城「尼子十旗」を構えていました。先ごろ、「月山富田城と尼子十旗の連絡会」が発足し、出雲の山城を全国に発信しようと盛り上がっています。同連絡会の代表で、月山富田城まちづくり委員会会長も務める平原金造さんに「尼子十旗」について話を聞きました。

尼子十旗とは?

尼子氏の歴史を記した「雲陽軍実記」に「惣じて尼子旗下にいて禄の第一は白鹿、第二は三沢、第三は三刀屋、第四は赤穴、第五は牛尾、第六は高瀬、第七は神西、第八は熊野、第九は真木、第十は大西なり、これを出雲一国の十旗と云ふ」と記載されているお城です。月山富田城の防衛のために置かれた十の支城で、それぞれに大きな役割を果たし、戦があれば尼子チームとして一緒に戦っていました。

注目は、城の名前と城主の氏が同じところと違うところがあること。勢力拡大していきながら、もともとその地で地域をまとめていた国人(国衆)武士の頭領の城を味方に引き入れて支城としたところは、城と城主が同じ名前。最も主要な拠点となっていた白鹿城、食糧基地としていた高瀬城は、尼子の家臣を送り城主としていたそうです。

一. 白鹿(しらが)城

松江市法吉町。

城主・松田氏。

海上輸送の拠点、月山富田城防衛の最後の砦(とりで)として重要な役割を担っていた白鹿城。毛利が攻めてきたときも、松田氏は尼子家臣として最後まで戦った。

 登山可能 

二. 三沢(みざわ)城

奥出雲町鴨倉。

城主・三沢氏。

中国山地は鉄の産地であり、大きな勢力をもっていた城。三沢氏は、最後は毛利の家臣になった。

 登山可能 

三. 三刀屋(みとや)城

雲南市三刀屋町古城。

城主・三刀屋氏。

出雲・宍道・奥出雲・雲南から松江へも行ける交通の要衝で、重要な拠点だった。三刀屋氏は、尼子→大内→尼子→毛利と仕え、尼子の敵となった。「お家第一ゆえの行動だったのでは」と平原さんは言う。

 登山可能 

四. 赤穴(あかな)城

飯南町下赤名。

城主・赤穴氏。

瀬戸山城とも。広島方面からの入り口にあり、大内が攻めてきたとき当時の城主は果敢に戦うも戦死した。

 登山可能 

五.「牛尾(うしお)城」

雲南市大東町海潮。

城主・牛尾氏。

三笠城とも。山を越えたら月山富田城がある位置。1570年毛利輝元に攻められ、当時の城主ら160人余りが戦死。

 登山可能 

六. 高瀬(たかせ)城

出雲市斐川町学頭。

城主・米原氏。

食糧供給基地として重要な城であり、尼子の家臣が城主となった。最後まで尼子に忠誠を誓った。

 登山可能 

七. 神西(じんざい)城

出雲市東神西町。

城主・神西氏。

いったん毛利についていたが、尼子勝久の出雲進攻のときに尼子に味方し、山中鹿介らとともに尼子再興に尽力した。

 登山可能 

八. 熊野(くまの)城

松江市八雲町熊野。

城主・熊野氏。

大内義隆が出雲に攻めてきた際に戦功をたてたり、毛利元就が白鹿城を攻めたときにけん制したりするなどした。月山落城に、せん方なく毛利に降参するも、尼子復興の際には勝久のもとに駆け付け鹿介といっしょに戦った。

 登山可能 

九. 馬木(まき)城

奥出雲町大馬木。

城主・馬来氏。

夕景(ゆうげ)城とも。備後比婆方面からの侵入を防ぐ役割を担っていた。馬木は尼子経久・義勝の生母の里。

 登山困難 

十. 大西(だいさい)城

雲南市加茂町。

尼子晴久時代以降の城主・大西氏。

高麻(たかさ)城とも。尼子義久が毛利に敗れ安芸高田の寺に幽閉されることになった際や、幽閉を解かれた際に大西氏は同行した。

 登山可能 

※登山については、自然災害などにより、「登山不可」となっている場合もあります。お出かけの際は、各自治体などにご確認ください。

参考資料/『月山富田城尼子物語 尼子ハンドブック【増補改訂版】』藤岡大拙著・安来市観光協会刊・ハーベスト出版発行、『出雲富田城史』妹尾豊三郎著・山中鹿介幸盛公顕彰会発行

尼子十旗の写真提供/ハーベスト出版(谷口印刷、松江市)

御城印板写真提供/ワーキングプレイス サンライズ(米子市)

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